穏やかな協議離婚後のこっそり引越し体験記
引越しは色々な人生の裏模様が見え隠れするものだとつくづく思います。
結婚して、子供が産まれ、お部屋が手狭になってきて、お家を購入して引越すという幸せなパターンもあれば、そうでないパターンもあります。
私の引越しはどちらかというとそうではないパターンでした。原因は私達夫婦の離婚でした。ただし、とても穏便に進んだ協議離婚でしたから、離婚そのものにはそんなにパワーは必要ありませんでした。
ただし、引越しに関しては大変でした。
私達には子供ができなかったので、離婚のための引越しで大変だったのは2人で購入した物のわけ方でした。
そして、その運び出し方でした。
できれば、あまり近所に知られないで私の荷物を運び出し、私が穏便に出ていきたいと思ったからです。ではどのような引越しになったかをお話ししましょう。
■荷物の梱包は全て自分で行った
私の場合、離婚してからの生活がかなり困難になると想像ができたので、引越しにできるだけお金を使いたくなかったのです。
離婚後、しばらく仕事が見つからなくて、お金に苦労する妥当と思いました。お金を少しでもセーブしたかったのです。
それで、段ボールはあちこちから集めてきては少しずつ梱包しました。
この引越しは私が住宅から出ていき、元夫はそのままその住宅でしばらく暮らすということになりました。
よって、私の荷物だけを運び出す、という引越しになりました。
■妹の名前で賃貸アパートを借りた
私は定職をずっと持っていない専業主婦だったこともあり、私の名義では賃貸を借りられないと思いました。
そこで、私の妹に、彼女の名義で賃貸アパートを借りてもらいました。
住むのは妹と私、ということにしました。
そうでもしなければ、私だけでは賃貸は借りられないと思いました。
賃貸アパートはわりとすんなり決まりました。
私に支払っていける家賃のアパートということで、そんなに選択肢は広くありませんでしたから、妥当なところで決めました。
■持って行く物は最小限にしようとは思わなかった
私の荷物は決して少なくないのですが、今後の一人暮らしのことを考えると、荷物はできる限り少なくするべきだとは思いました。
といっても、離婚してからの生活では収入が足りなくて、生活が困窮することも考えられたました。
ですので、できるだけ使える物は持って行きたいという気持ちもあり、あまりたくさん処分はしませんでした。
しばらく、何も買えなくても困らないように、ある程度の物は梱包しました。
■友人や身内の人に少しずつ荷物を運んでもらった
離婚が決まってから、友人や身内に少しずつそれぞれの車で荷物を運んでもらいました。
距離としては片道65kmくらいある市外への引越しですので、往復で3時間以上時間がかかってしまうところを快く協力してくれた人達がいて、とても幸運でした。
■大きな引越しは「赤帽」1台で運んでもらった
引越しのメインは「赤帽」を利用することにしました。
私の身内や友人に遊びに来てもらう帰りに、荷物を運んでもらったので、かなり荷物は少なくなってはいました。
引越しの直前にはゆうパックで細々とした荷物を送っておきました。この荷物は私が引越し先についてから自分で受け取りました。
赤帽の料金は市外への引越しなので、時間もお金もある程度はかかるのは覚悟していました。
中長距離の引っ越しだったのでどのプランで引っ越そうか悩みましたが、
自分の場合はできるだけ、自分で運べるものは自分で運ぼうと考え引っ越しに望みました。
ゆうパックや宅急便で運ぶ方法はサイトで見つけた方法で行うことにしました。
参考サイト
■持ってこなかった荷物があったことに気がついた
引越しが終わって、新しい住処で生活をし始めてから、持ってくるべきだったのに持ってこなかったものがかなりあったことに気がつきました。
引越しを終えて1年経って気がついた物もありました。
例えば、結婚した時に持って行った和服は持って帰ってきても、草履や和装小物は持ってくるのを忘れました。冠婚葬祭用の黒い靴も持ってくるのを忘れました。
元夫に忘れ物があったら、私に着払いで送ってほしいと言っておいたのですが、送られてくることはありませんでした。
こちらからも連絡はしませんでした。
ですので、それらは諦めました。
■引越しを振り返って
私の離婚の時の引越しはこのような感じになりました。
荷物の梱包、荷くずしなどは全てひとりで行いましたので、かなり大変ではありました。
引越し後もすぐに仕事のことを考えて動かなくてはいけなかったので、荷くずしは順調とは言えませんでした。
結局、完全に部屋が片付くまでには何か月もかかりました。
離婚での引越しですから、あまり近所に見られたくなかったりもしましたので、精神的にも疲れた引越しでした。
しかし、数人の周囲の人達に支えられた引越しでした。
感謝しています。